Magi KB 総需要・総供給モデル(AD-AS)— 物価水準と産出量のマクロ経済分析

総需要・総供給モデル(AD-AS)— 物価水準と産出量のマクロ経済分析

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Created: 2026-07-01 Updated:

物価水準と実質GDPを結ぶ総需要・総供給(AD-AS)モデルを、AD曲線の3経路・SRAS/LRASの3理論・短期長期均衡と自己修正・需要対供給ショック・IS-LM等との橋渡しまで整理する。confidence: mediumは教科書的総合。

総需要・総供給モデル(AD-AS)— 物価水準と産出量のマクロ経済分析

総需要・総供給モデル(aggregate demand and aggregate supply, AD-AS)は、縦軸に経済全体の物価水準(P)、横軸に実質GDP(Y)をとり、総需要曲線(AD)と総供給曲線(SRAS/LRAS)の交点として短期・長期のマクロ均衡を描く分析枠組みである。個別市場の価格と数量を扱う需要と供給(fin-37)のミクロ的道具立てを経済全体に拡張したものだが、AD-AS曲線の傾きの根拠はミクロの代替効果・所得効果とは別物であり、この違いを明確にすることが本稿の出発点になる。またAD-ASは、物価水準を所与として産出量だけを決めるケインズ経済学のケインジアン・クロスやIS-LM(fin-13)に「物価水準という軸」を付け加えることで、需要側の枠組みと供給側・期待形成を重視するマネタリズム/新しい古典派(fin-8)とを橋渡しする役割を持つ。本稿は、AD曲線の構成と傾きの根拠、SRAS・LRASの理論的基礎、短期均衡と長期均衡・産出ギャップと自己修正、需要ショックと供給ショックの識別、そして関連する既存モデルとの接続までを扱う。

総需要(AD)曲線

総需要曲線は、他の条件を一定として、経済全体の物価水準(Pーー GDPデフレーターやCPIのような物価指数)と、需要される実質産出量(Y)との関係を示す。総需要は国民所得統計の恒等式と同じく、消費(C)・投資(I)・政府支出(G)・純輸出(NX)の合計として定義される:AD = C + I + G + NX。

AD曲線が右下がりになる理由は、単一市場の需要曲線とは異なる3つの経路による。第一に、資産効果(wealth effect、実質残高効果/ピグー効果)——物価水準が下がると家計の貨幣保有や名目建て資産の実質価値が高まり、豊かさを感じた家計は消費を増やす。第二に、利子率効果(interest-rate effect、ケインズ効果)——物価水準が下がると取引に必要な名目貨幣量が減り実質貨幣残高(M/P)が増えるため、家計は余った資金を貸し出しに回し利子率が下がり、投資が刺激される。この経路はケインズ経済学で扱われる流動性選好・LM曲線の議論を、物価水準の変化に応じて圧縮したものに相当する。第三に、為替レート・純輸出効果——物価水準の低下(あるいはそれに伴う利子率低下)は自国通貨を減価させ、輸出の価格競争力を高め純輸出を増やす。これは為替レートという相対価格を経由する点でミクロの代替効果に最も近いが、単一財の自己価格ではなく国際的な相対価格を通じて働く。3つの経路はいずれも同じ方向、すなわち物価水準の低下が総需要量の増加を導く点で一致し、AD曲線の右下がりの形状を支える。

物価水準以外の要因が変化するとAD曲線全体がシフトする。消費側では家計資産・消費者信頼感・家計債務・可処分所得に影響する税制、投資側では企業マインド(アニマル・スピリッツ、ケインズ経済学で既出)・期待収益率・金融政策による利子率、政府支出側では裁量的財政政策、純輸出側では海外所得・為替要因・貿易政策がそれぞれ挙げられる。金融緩和は物価水準を所与として利子率を下げ投資・純輸出を刺激するためADを右にシフトさせ、減税や政府支出拡大は乗数(ケインズ経済学で既出)を通じてAD曲線を右にシフトさせる。ADの右シフトは正の需要ショック、左シフトは負の需要ショックと呼ばれ、後述のショック分析に直結する。

総供給 — 長期(LRAS)と短期(SRAS)

長期総供給曲線(LRAS)は、経済の潜在産出量(Y*、完全雇用産出量・自然産出量)の水準で垂直に描かれる。長期には賃金・価格が完全に伸縮的であるため、供給される産出量は物価水準に依存せず、資本・労働の量と技術水準(生産関数 Y = A·F(K, L))によってのみ決まる。これは実質変数(産出・雇用・実質賃金)が名目変数(物価水準・貨幣供給)から独立に決まるという古典派の二分法の図解であり、貨幣の中立性を体現するものとして、マネタリズム/新しい古典派(fin-8)の長期中立性の主張と直接つながる。LRASは資本蓄積・労働力・生産性の向上に伴い右にシフトし、これは長期の経済成長をAD-ASの枠組みで表したものであって、短期の景気循環とは区別される。

短期総供給曲線(SRAS)は右上がりであり、これを説明する理論は3つある。第一に硬直賃金理論——名目賃金が長期契約や社会的規範により緩慢にしか調整されないため、予想外に物価が上がると実質賃金が下がり、企業は雇用と産出を増やす。第二に硬直価格理論(メニューコスト)——全ての企業が即座に価格を改定するわけではなく、価格改定にはコストが伴うため、物価水準が上がっても価格を据え置いた企業は相対的に安くなり販売・産出を増やす。第三に誤認理論(Friedman-Lucas)——供給者が一般物価水準の上昇を自社製品の相対価格上昇と誤認し、産出を増やす。この理論はマネタリズム/新しい古典派(fin-8)のルーカスの不完全情報モデルと直結する。3理論はいずれも同じ要約式 Y = Y* + α(P − P^e) に帰着し、実際の物価水準Pが期待物価水準P^eを上回るときにのみ産出が潜在水準から乖離することを示す。期待が完全に調整されP^e = Pとなれば右辺の乖離項は消え、Yは物価水準にかかわらずY*に一致し、SRASは長期にはLRASへ収束する。

SRASは、資本・労働・技術などLRASをシフトさせる要因に加え、期待物価水準(P^e)の変化や、原油価格急騰・自然災害・生産性ショックのような供給ショックによってもシフトする。期待インフレの高まりが賃金契約や価格設定に織り込まれると、SRASは左(上)にシフトする。

短期均衡・長期均衡と自己修正メカニズム

短期均衡はAD曲線とSRAS曲線の交点で決まり、その時点で実現する物価水準と産出量を与える。この短期均衡は潜在産出量(Y*)と一致するとは限らない。実現産出量がY*を下回れば景気後退ギャップ(recessionary gap、自然失業率を上回る失業を伴う)、上回れば景気過熱ギャップ(inflationary gap、自然失業率を下回る過熱状態)と呼ばれる。このギャップの記述は、拡張・後退の局面を扱う景気循環(fin-43)を補完するものであり、business-cycle.mdが記述的・実証的側面を担うのに対し、AD-ASはギャップがなぜ・どう生じ、どう解消されるかを説明する分析装置にあたる。

長期均衡はAD・SRAS・LRASの3曲線が同一点で交わる状態、すなわち短期均衡産出量が潜在産出量に一致し、期待物価水準が実際の物価水準に一致する(P^e = P)状態である。教科書的な自己修正メカニズムは次のように働く。景気後退ギャップでは、高い失業が名目賃金に下落圧力をかけ、企業のコストが下がるにつれSRASは右にシフトし、やがてAD曲線とYで交わるまで続く(物価水準はさらに下がるが産出量は潜在水準に回復する)。景気過熱ギャップでは逆に、逼迫した労働市場が賃金を押し上げ、SRASは左(上)にシフトし、産出量はYに戻るが物価水準は高いまま定着する。この自己修正の速度をめぐる見解の相違こそが、マネタリズム/新しい古典派(fin-8)が主張する「期待調整後は比較的速やかに自己修正する」という立場と、ケインズ経済学が強調する「賃金・価格の下方硬直性ゆえに調整は緩慢で費用を伴い、ゆえに総需要管理が正当化される」という立場の対立点であり、両学派はAD-ASという同一の枠組みの上で、自己修正の速さという一点をめぐって異なる政策的含意を導いていると整理できる。

需要ショックと供給ショック

正の需要ショック(金融緩和・財政拡大・消費者/企業信頼感の上昇など)はAD曲線を右にシフトさせ、短期には物価水準と産出量をともに引き上げる。長期には自己修正を経て産出量はY*に戻り、物価水準の上昇だけが残る。負の需要ショックはこの逆で、短期には物価水準と産出量がともに下がり景気後退ギャップを生む。需要ショックの識別上の特徴は、物価水準と産出量が同じ方向に動くことである。

負の供給ショック(原油価格急騰、自然災害による資本毀損、生産性の悪化など)はSRAS曲線を左にシフトさせ、物価水準の上昇と産出量の低下を同時にもたらす。これがスタグフレーション(stagnation + inflation)である。供給ショックの識別上の特徴は、物価水準と産出量が反対方向に動くことにあり、この一点(PとYが同方向に動くか逆方向に動くか)だけで、ある経済変動が需要側起源か供給側起源かを見分けられる点がAD-ASモデルの重要な教育的含意である。

1970年代の石油ショック(1973–74年のOPEC石油禁輸、1979年のイラン革命)は、負の供給ショックの典型例として教科書で繰り返し引用される。原油価格の急騰は経済全体の企業コストを押し上げSRASを左にシフトさせ、石油輸入国では高インフレと高失業・産出低下が同時に生じた。この組み合わせは、インフレと失業が逆方向に動くはずだという単純なフィリップス曲線の想定では説明できず、ケインズ経済学で触れた期待修正フィリップス曲線の台頭とAD-ASモデル自体の教育上の定着を後押ししたとされる(具体的なインフレ率・失業率の数値はここでは立ち入らず、定性的な記述にとどめる)。

IS-LM・ケインジアン・クロスおよび新しい古典派との接続

AD-ASは、ケインズ経済学で扱われるケインジアン・クロス(45度線図)やIS-LMに欠けていた物価水準という軸を補うものと位置づけられる。ケインジアン・クロスは物価水準を所与として計画支出と産出量の均衡を決め、乗数を導く。IS-LMはこれに利子率の決定を加えるが、やはり物価水準は固定して扱われるのが通例である。AD-ASは、物価水準そのものが変化するときIS-LM均衡の産出量がどう動くかを問うことで導出できる——物価水準が上がれば実質貨幣残高M/Pが下がりLM曲線が左にシフトし産出量が下がる、という関係がAD曲線の右下がりの形状に対応する。政策的含意としては、IS-LM/ケインジアン・クロスの世界(暗黙に物価固定)では財政・金融拡大は乗数どおりに産出量へ反映されるのに対し、AD-ASの世界では拡張の一部が物価上昇に「漏れ」、その漏れの大きさはSRAS曲線の傾きに依存する。深い景気後退ギャップの下でSRASが緩やかであれば拡張の大半は産出量の増加として現れ(需要刺激策の標準的な根拠)、経済が潜在水準に近く既に逼迫していればSRASが急勾配となり拡張の大半は物価上昇として現れる(需要刺激に慎重であるべき標準的な根拠)。

またAD-ASは、マネタリズム/新しい古典派(fin-8)の合理的期待・政策無効命題と直結する。合理的期待の下では、人々が政策ルールそのものを織り込んで期待物価水準P^eを形成するため、事前に公表され信頼された金融拡大はP^eに即座に反映され、SRAS式の(P − P^e)の項はゼロのままとなり、産出量はY*から動かない。産出量が一時的にでも潜在水準から乖離しうるのは、予期されない政策・ショックの場合に限られる——これはfin-8の政策無効命題のグラフ上の表現にほかならない。

現代的な精緻化と日本の政策論議における位置づけ

SRASの要約式 Y = Y* + α(P − P^e) は、インフレ率・期待インフレ率・産出ギャップの関係へと書き換えることができ、これを粘着価格のミクロ的基礎(Calvo型の段階的価格改定)から前方視的に導いたものがニューケインジアン・フィリップス曲線(New Keynesian Phillips Curve, NKPC)である。NKPCは、ケインズ経済学で触れたメニューコストや動学的確率的一般均衡(DSGE)モデルへの収束と同じ潮流に位置づけられる、SRASの現代的後継である。

潜在産出量(Y*)自体は直接観測できず、資本・労働・全要素生産性トレンドを積み上げる生産関数アプローチや、実際のGDPからトレンドを統計的に抽出するフィルタリング手法によって推計される。推計手法や利用するデータの版によって同じ時点の産出ギャップの推計値が変わりうることはよく知られており、この点は本稿でも数値そのものより概念的な理解を優先する。

日本では、内閣府が生産関数アプローチに基づく「GDPギャップ(需給ギャップ)」を定期的に公表しており、これはAD-ASの産出ギャップ(Y対Y*)の現実の対応物にあたる。日本銀行もまた独自の需給ギャップ・潜在成長率の推計を持ち、展望レポートにおけるインフレ見通しや金融政策運営の説明の中で、産出ギャップとインフレ期待を結びつける論理を用いており、これは前述のフィリップス曲線・SRASの関係が現実の政策説明に応用された姿といえる。内閣府と日本銀行の推計値が完全には一致しないことも珍しくないが、これは推計手法の違いによるものであり、産出ギャップの推計が本質的にモデル依存であることの現れとして理解すればよい。日本の政策論議で物価上昇が「需要牽引型」か「コスト・プッシュ型」かが問われる場面は、まさに本稿で扱った需要ショックと供給ショックの識別問題がそのまま現実に適用された例であり、AD-ASモデルの実践的な応用先の一つである(なお、具体的な現在のGDPギャップの数値や特定時点の物価動向の評価については、時点依存性が高く別途の検証を要するため、本稿では立ち入らない)。

Local graph